小石川後楽園

 小石川後楽園に行って来ました。水戸黄門様ゆかりの大名庭園です。


 2010.10.03

 ここが小石川後楽園の入り口。水道橋駅から来ましたが、一番近い門は閉鎖されていて、飯田橋駅側の門まで歩いて来ました。



 入り口にあった案内板。右側の周辺案内図によると、小石川後楽園(緑色の部分)は東京ドーム(その右の丸い部分)の倍くらいの面積があるように見えます。(実際は、小石川後楽園は70,847平方メートル、東京ドームは46,755平方メートルだそうです)



 園内に入ると、いきなり目に飛び込んでくるのは東京ドームとドームホテル。小石川後楽園に隣接する巨大な施設です。




 渡月橋

 「大堰川にかかる低い土橋で、京都嵐山の「渡月橋」の名をとった」とあります。



 清水観音堂跡

 右側はがけになっており、ここに「京都清水寺を写した観音堂があったが、大正十二年の関東大震災で焼失した」そうです。




 池にある島は「蓬莱島」

 「島は亀の形をしており、先端の大きな鏡石は、庭師徳大寺左兵衛にちなんで「徳大寺石」と名づけられ、弁財天をまつったほこらがある」(看板の説明書き)



 円月橋(えんげつきょう)

 「明の儒学者、朱瞬水の設計と指導により名工「駒橋嘉兵衛」が造った。橋が水面に写る形が満月になることからこの名がつけられた。後に八代将軍吉宗が江戸城吹上の庭に造ろうとしたが、遂に果たせなかったといわれている」(看板の説明書き)



 神田上水跡



 田端(たばた)

 「二代光圀が嗣子綱條の夫人に農民の苦労を教えようと作った田圃で、現在は毎年文京区内の小学生が五月に田植え、九月に稲刈りを行なっている」(看板の説明書き)

 かかしもあるし、網もかけてあるのに、スズメが集まってつついていました。今年の稲刈りは遅れているようです。


 反対方向(東京ドームを背にした方向)から見た蓬莱島。水面に写るのは高層ビル。




 内庭

 「本園は大別すると内庭と後園(後楽園)とに分けられる。内庭は水戸藩邸の書院の庭であって、江戸時代には「うちの御庭」などと呼ばれていた。江戸の大名屋敷がほとんど消滅した現在、書院の庭の旧態をよく残しているものとして貴重である」(看板の説明書き)



 内庭は東京ドーム寄りに位置しています。




 飯田橋駅から帰りました。この飯田橋交差点は複雑な交差点。歩行者は歩道橋。さらにその上に、首都高5号線がかかっています。





 江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、その中屋敷(のちに上屋敷となる)として造ったもので二代藩主光圀の代に完成した庭園だそうです。

 中国趣味豊かで、京都風味もあって、その頃の流行(はやり)がしのばれます。色々な年代のカップルが目立ちました。

 隣は東京ドーム。我々は水道橋から来ましたが、この日は野球は無くて、場外馬券売り場に来た人たちが目に付きました。この小石川後楽園に入ると緑がうっそうとしていますが、隣の東京ドームとドームホテルがはっきりと見えて、遊園地のジェットコースターに乗っている人たちのキャーという歓声が聞こえてきます。タイムスリップしたような奇妙な感覚。

 DATA: 入園料\300

 小石川後楽園


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